2010年05月21日

息子のお出かけの時の必需品

最近の息子はいろんなことに興味がいっぱい。

以前はスリングで抱っこしていてもおとなしくしていてくれたのですが、
今は電車の中ではキョロキョロしてとなりのお姉さんのバッグに手を伸ばし、
バスに乗れば、体をエビ反りにしてなんとか停車ボタンを押そうとして、
私が押さえつけようものなら、うきーっと声をあげることもあり、以前より
公共の場へのお出かけがちょっと大変になってきました。


まぁそれだけ興味関心が出てきていいことなんですけどね。

そんなときに、よくするのが小さい声での手遊び歌。
これが不思議と静かに見入ってくれる・・・が、歌い終わったとたんに活動再開(苦笑)。


そんなお出かけのときに重宝しているのがこの絵本。
はらぺこあおむし愛蔵ミニ版

DSC_1040.jpg

これ、手のひらサイズですっごく可愛くて一目惚れで買いました。
小さくても紙とかしっかりしたものを使っているので、手触りは大型本の
質感そのまま。
とても丈夫で息子がページをどんなにひっぱっても破けません。

大型本と同じく、ちゃんと青虫が食べているところに穴が空いていて、
息子はそこの穴によく指先を入れて遊んでいます。


地下鉄に乗って景色が見えなくて退屈そうに愚図った時も、小さい声で
この絵本を読んであげたらご機嫌に♪
小さいからかさばらないし、息子の小さな手でも持ちやすく外出の時の必需品です。
不思議なもので、以前購入したお出かけ用の布製の絵本はあまり好みじゃないらしく
ぽいって投げ捨ててしまうのに、こちらは飽きずにずっと好きです。

おもちゃっぽい布製よりも、やっぱり本物の絵本が好きなんですね。


エリックカールの絵本は本当に美しいです。
指や筆で色をぬった紙を切ってコラージュしてある絵は独特で、
まるで大理石に鮮やかな色がのっているようで見飽きません。
小さなうさこちゃんシリーズのディック・ブルーナもグラフィックデザイナーだし、
おおきなかぶの絵を描かれている佐藤忠良さんも有名な彫刻家です。

幼いうちから、こうした本物の芸術作品に触れることができる絵本って素敵ですよね。

他にもエリックカールの、「ね、ぼくのともだちになって」の愛蔵ミニ版も
動物がたくさん出てくる楽しいお話で息子によく読んでいます。

もう少し息子が大きくなったら、次はすてきな三にんぐみの愛蔵ミニ版を買おうかな。


大きな絵本は手にあまる息子も、このミニ版絵本は本当にお気に入りで
今日も私のカバンを勝手にあさって、はらぺこあおむしを取り出してページをめくり遊んでいます。

DSC_1045.jpg

お出かけのおともに、ミニ版の絵本がもっと増えるといいなぁ。


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ラベル:絵本
posted by sako at 05:48| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

「生命と食」とホメオパシー

今日は最近読んだ本の話。

福岡伸一先生の「生命と食」を読みました。


生命と食 (岩波ブックレット)



もともと、何年か前に「生物と無生物のあいだ」 を読んではいたのですが、
今回のものは、福岡先生の講演会の記録をもとにしており、
薄いブックレットなので授乳の最中にサクサク読める内容。


福岡先生の著書にいつもあるのは、生命が絶え間ない流れの中にある問いうこと。
ファミレスやコンビニの食品にはいつもカロリー表記がありますが、
車にガソリンを注ぎ込めば走るように、私たちは、カロリー源を入れれば
それが燃やされて、体を動かすエネルギー源になるような感覚があります。

だけど、分子生物学的に見ると、これはあまりにも端的な機械的生命論
だそうです。
食べものは体内でアミノ酸に分解され、全身に飛び散り、その半分以上が、
脳、筋肉、消化器官、骨、血管、血液など、あらゆる組織や臓器を構成する
タンパク質の一部になり、そこにもともとあった分子は新しいものと
置き換えられて、体外に排出されていく。

細胞の中のタンパク質もDNAもものすごく速い速度で、すべて入れ替わっています。皮膚や髪は、剥落したり抜けたりするので入れ替わることが実感できますが、固くてかっちりした印象を与える骨や歯のようなものでもその中身は入れ替わっています。体のすべての分子は食べものの分子と絶え間なく入れ替わり、全体として流れているのです。

このように、生命が絶え間のない流れにあることを「動的平衡」と言うそうです。

だから、一年前の私はほとんど別人と言っても過言ではないのです。
「私たちの体はすべて食べものからできている」
そんな当たり前のことに気づくと、食べることをおろそかにしてはいけないということに気づきます。


私が勉強しているホメオパシーでは、体の持つエネルギーや
生命力のことをVital Force(バイタルフォース)と呼んでいます。
子どもなんかはバイタルフォースが強いから、悪いものを押し出す力が強いのです。
だから、急に高熱を出したりするけど、一晩寝たらけろりと治ったりします。
大人は微熱や咳がだらだら続いたりするケースが多く、なかなかそうはいかないですよね。

ホメオパシーでも、生命には流れがあり、その流れが良い人は健康な場合が多い。
逆に、体調や精神不調で、ホメオパシーのセッションを受けている患者さんの
ケース資料を翻訳されたものを読んでいると、
「私は停滞している」とか「硬直している」という表現が多いことに気づきます。

まさに体や精神が病的な状態とは、この動的平衡が滞った状態なんだと
福岡先生の本を読んでいて深く実感。

川の流れだって、流れが滞っている場所の水は濁りよどみます。
人の体も同じ。

私たちは、「予防接種を受けなくちゃ」とか「手洗いうがいをしなくちゃ」
等、メディアからの情報と目に見えることにどうしても意識が向いてしまうけど、
予防接種を毎年打ってもインフルエンザになる人がいたり、打たなくても
平気な人がいるように、本質はそこではないのです。


今から約200年前、ホメオパシー医学の創始者、サミュエル・ハーネマンが
オルガノンというホメオパシーのバイブルの中にこう書いています。


「霊的な生命力(vital force)は、物質的な身体に生命を吹き込む流動体である。
その霊的な生命力が、無限の統制力によって人の健康を統治している。
さらに、生命力は、感覚と機能のどちらにおいても、生物体のすべての
部分を、驚くべき調和のとれた状態で維持している。」


これって、福岡先生の著書にある、動的平衡とすごく近いなぁと私は思うのです。
数年前に、ホメオパシーを勉強し始めた頃、この200年前のオルガノンの
文章と福岡先生の「生物と無生物のあいだ」に同時期に出会い、
体が震えるほどの衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。

福岡先生によると、地球全体にある元素の総量はそれほど変わらず、
あるときは海に、あるときは風に、あるときは生物になって、
元素はぐるぐると回っているそうです。
だから燃えないものを埋め立ててしまうと流れが封じ込められてしまう
ので、むしろ燃やして循環の中に戻して、その二酸化炭素を植物が吸収して
その葉っぱを昆虫が食べて、その昆虫を鳥が食べて・・・という循環の中に
戻してやることが本当の意味で地球に優しく自然治癒力が働くと、
生物が生物である理由 の中で書かれています。

これは、西洋医学的な薬で病気を抑圧する対症療法ではなく、
症状を少しだけ後押しして、(例えば熱を出す・咳を出す)悪いものを
押し出すのを助けるホメオパシーの考えと同じだと思うのです。


これらの考えと、人の健康に携わる仕事をしてきた経験から、
私は、心身の流れを滞らせるようなことをしないことが、
健康を維持していく上でとても大切だと思っています。

心身の流れが滞ることとは、例えば
下半身を冷やすこと、自分で受け流せないほどの精神的・肉体的ストレスを
溜めること、体の循環を妨げる食品でない分子(食品添加物)や不自然に
育成された食物、科学的に合成された薬品を摂ること等・・・。

特に身の回りのものや食べものに関しては、私はそれが
自然か不自然ではないかを判断の基準にしています。

例えば、コンビニに並んだサラダは、薬品で特殊な加工がしてあるので
何時間経っても切り口が変色しないのは、ものすごく不自然です。
そのサラダを食べるよりも、なるべく自然農法で育てられた新鮮な
野菜を食べた方が、どれだけ体の流れをスムーズに整えてくれることでしょう。

日本で採れない南国のフルーツやチョコレートをたくさん食べるのも
不自然なこと。

狂牛病も、乳牛の生産量を増やすために、子牛に母牛のミルクを与えずに、
死んだ家畜の肉骨粉を水に溶いて与えるという、自然の循環をまったく無視して
効率を最優先したがために起きた人災です。
そんなお肉より、自然に育てられたもののほうが、私たちの体にはるかに
活性を与えてくれることでしょう。


「安全な食品はお金がかかる。そんな余裕はない」
と思われる方がいるかもしれませんが、福岡先生は「生命と食」の中でこう書かれています。

第二次世界大戦後まもないころの日本人のエンゲル係数は、60%を超えていたそうです。
翻って現在、エンゲル係数は今、平均で23%だといわれています。
 
このエンゲル係数の低さには、食がグローバル化し、プロセスが見えない安いものが大量に作られるようになったと同時に、一円でも安いほうを選ぶという消費行動が、その構造を支えているという実態が潜んでいるように思われます。
こういうと必ず「それは持てるものの論理だ」と反論する人が出てきます。私はロハスやスローフードの考え方を応援していますが、これに対して「ロハスやスローはマーケティング用語であって裕福な人たちが格好いいライフスタイルとして、よりお金がかかるものを食べたりする趣味的なものだ。一般庶民にはそんな余裕なんてない」といった批判が現れました。だが、それは「遠近感」が少し違うのではないかと思います。
食べるという行為は、これまで見たとおり、生命や健康に第一義的に関わってくるものです。そこにお金をかけずして何にお金をかけるというのでしょうか
確かに、プロセスが見えるようにするにはコストがかかります。しかし、こう考えてみたらどうでしょう。スーパーに牛乳の一リットルパック二種並んでいる。一つはごく普通に流通している200円の牛乳。もう一つのほうは、自然な牧草や有機栽培された植物性飼料で牛を育て、余計な人工肥料は一切使っていない250円の牛乳。200円の商品に比べれば、250円の商品は確かに25%割高です。だが、その差はたった50円にすぎない。その50円が払えないものでしょうか。安全と安心のために50円多く払うのが金持ちの論理なのでしょうか。
 小さな出費が積み重なれば、全体として食費が増えるのは確かでしょう。その一方で私たちはつきに2,3万もの携帯電話料金を平気で払っていたり、何十万円もするブランド物のバッグを買っていたりする。食費にしても50円高い牛乳を買いしぶりながら、ペットボトルや缶入りの飲料を買う出費は、あまり気に留めていなかったりするのではないでしょうか。そういった金銭感覚のギャップを示して、「遠近感」がおかしいといいたいのです。



もう、この文章に深く深く共感しました。
昔はエンゲル係数に60%以上もかけていたのに、現代社会は食を
おろそかにしすぎです。

国も子どもの医療費を無料化するよりも、もっと健康の礎となる食を大切に
してほしいです。

他のものは節約しても、息子に食べものだけはきちんとしたものを
食べさせたい。

目先の安さに惑わされて、生産プロセスが不透明なものを買うより、
少し割高でも、自然に循環できる農法や生育にこだわった食物を作る
生産者さんのものを買い、応援していくことが
私たちが次の世代の健康・安全のために残せる小さくても確実な一歩だと思うのです。


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posted by sako at 06:43| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

絵本やおもちゃを選ぶ基準〜大人の判断を伝える仕事〜

仲の良いママ友達に会うと共通して出る話題。

「木のおもちゃとかいいかなぁって思うけど、赤ちゃんってプラスチックとか
好きだし、それにもすぐに飽きて結局オモチャじゃないものが好きだよね〜」

そうそう!
大人がいいなぁって思うものを与えても見向きもしないで、ビニール袋や
タッパーの蓋だったり、原色けばけばのおもちゃで夢中になって遊ぶ息子。


きっとこの先、大きくなっていってもアニメのキャラクターの絵本や
おもちゃを欲しがるだろうし、お友達が持っていればゲームも欲しがるかも・・・。
「子どもが好むものを与えるのが一番いいのだろうか・・・?」
と悩むところですよね。

そんな子どもの周りをとりまくおもちゃや絵本選びについて、
私がとても参考になったのは、
松井るり子さん著のあかんぼぐらし―宝のときを楽しむという本。


あかんぼぐらし―宝のときを楽しむ


この本、随所に素敵な子育てのヒントが散りばめられているのですが、
一番共感した部分を以下に抜粋しますね。
絵本の選び方について書かれているのですが、子どもに与えるもの
すべてに共通して通じる内容だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大人の判断を伝える仕事

講演会でこんな質問がありました。
『大人が選ぶ本と、子どもが読んでほしい本が違う。大人はしっとりとした静かな絵本が好きなのに、子どもはけばけばしいキャラクター絵本ばかりを買いたがります。大人の好みを押しつけてもいいか、子どもの選択を優先した方がいいか、どっちですか?』

「正解」を言うことはできませんが「私はこうしている」ということは、話せます。

図書館や児童館では、自分のカードで好きな本を借りてよいことにしていました。家にある本でも、十回借りたことのある本でも、大人が眉をひそめそうな本でもいいのです。
大人のカードは本人が好きに使います。子どもが「読んで」と持ってきた本は、一度は必ず気持ちよくよんでやります。好きだったら一緒に喜んで、その本を具体的にほめたたえ、場合によっては買います。
 好きでなかったら好きでないと言い、わかる範囲で理由を言ったり言わなかったりしますが、とにかく二回目以降は読みたくないことを伝えます。最初の数回は気持ちよく読めたけれど、なぜか飽きてしまったような場合は、率直に伝えます。いずれにしろ、我慢しません。我慢して読んだとき、「おかあさんは僕のために我慢してくれる偉い人」ということは伝わるかもしれませんが、「絵本は我慢のいる楽しくないもの」ということも、しっかり伝わってしまいます。
 買う本は大人が決めます。お金を払うことや、ものを所有して置き場所を案ずることは、大人の判断の下にあるからです。頂いた本をずっと家に置くかどうかも、大人が決めます。
 
 こういうことをしているうちに、子ども自身の絵本を見る目が磨かれて、「わあ、いいセンスだねえ」とうれしくなるような絵本を、見つけてきてくれるようになります。「子どもの選択を尊重する」のは、将来大事になってくることがらでしょうが、その前段階として、選び方を教える仕事があります。そこははしょらず、各論で教えます。

私は絵本を、食べ物に置き換えて考えます。我が子に「何でも好きなものを選んで食べていい」と言ったら、「アイスクリーム三食」をやってくれる恐れがあります。アイスクリームもたまにならいいと思いますが、普段親が、成長期にふさわしい栄養を与えて、穀物や野菜を与えます。親には、子どもの食習慣を形成する役目があります。子どもにとって必要なものと、楽しい甘味のバランスが取れるよう、心を配ります。

 放っておけば、磨いた床柱より、ペンキぬりたてのブランコの柱が好きで、星のまたたきよりも、デパートの電気のチカチカの方が好きなのが子どもです。だからといって子どもに床柱や星はいらないという人はいません。「子どもが気に入る」ということを優先して「アイスクリーム絵本」ばかりを選ぶのは、結局は不親切だと思います。心の栄養となる絵本を与えることによって、審美眼が育ちます。

 幼いときに親が何も教えなければ、子どもは「お友達が持っている」とか「テレビで見た」のように、情報社会が教育してくれるまま、つまり「儲かる本がいい本」「新しい本がいい本」「話題の本がいい本」という、経済の仕組みからくる価値観そのままの選択をしてみせてくれるでしょう。

 親の教育力より数倍強いそれは、コマーシャルの受け手としての必然的結果というだけですから、「子どものセンスと私のセンスが対立してしまった。どうしよう」と悩む必要はないと思います。ただ「子どもはこういう環境のなかに居るんだな」と知り、子どもの暮らしを見なおして、家庭では何を選んで与えたいかを与えるきっかけとすればいいと思います。絵本を通じて自分を打ち出したとき、たとえそれが立派なセンスでなくても「ああ、あれこそが私の親だ」と子どもは後から感じるのではないでしょうか。
それにしても、子どもに絵本をよんでやるような早い時期から、「大人の好みの押しつけはいけない。子どもの選択を重視しなくては」という姿勢だと、この先ずっと同じ悩みが拡大しながら続きそうです。

 私たちは子どもの欲求を聞いてやらないとに、「大人の好みの押しつけ」というマイナス評価をかぶせて戒めとし、理解ある親をめざします。その一方で「子どもが気に入るから」という理由を優先していろんなものを選んでいくのは、結局は不親切だということや、野放図から志の高いものは生まれにくいことを、どこかで感じているような気がします。
だからこそ、「どっちがいいんですか」という質問が出てくるのでしょう。私はこの質問には、見どころがあると思います。

 我々大人は、子どもより何十年か長く生きたことで、少しは学び、賢くなったと思いたいです。そのことに根ざす判断を、暴力や脅しで押しつけるのは醜いですが、まじめにまっすぐに子どもに伝えるのは、大人に課せられた仕事です。

 大人の保護下にある子どもは、大人と喧嘩していればすみますが、やがてうるさいことを言ってくれる親から離れて、自分の判断で生きるようになります。その時までに子ども自身が、自分にとってよい道を選べる能力をつけてやるのが、大人の仕事です。子どもが気に入るからと好きにさせるのは、大人が自分の仕事を投げ出して、責任をとらないでいることだと思います。

 大人としての自分の感じ方を信じて、「ちょっとこれは、私の気持ちにしっくりこない」と思ったところで、少し立ち止まって考えたら、きっと良い答えが得られると思います。まず、考える勇気と静けさを持ちたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがでしたか?

松井るり子さんの子どもへの絵本の与え方や、食事に例えた選び方。
本当に学ぶところが多い文章なのでメモして何度も読み返しています。


古くから私が育った家にあった小さいてのひらサイズの象牙の仏像。
あの頃は、両親がそれを美しく素晴らしいという意味が私はちっとも分からなかった。
白くてのっぺりしておもしろみもないって小学生くらいの頃の私は思っていました。

でも今思うと、その仏像の彫刻がすごく繊細だったのを思い出します。
乳白色で美しく、手に取るとツルツルでひんやり、ずっしりと重みがある。
あれが「美しい」っていうことなんだと、子どもの頃は分からなくても今なら分かる。
私は知らず知らずのうちに、いろいろなモノを通して両親に教えられて
きたんだと松井るり子さんの本を読んで気づきました。

まだ定まっていない子どもの価値観はメディアの影響を大きく受ける。
本当に良いものってテレビじゃないところにあるんだよ・・・という
選択肢を親が教えてあげないと、
「テレビでこれが流行っていてお友達もみんな持っているから欲しい」
ということになってしまう。

もちろん、プラスチックのおもちゃだってうちにもあるし、
テレビで素晴らしい番組が放映されることもあるから一概には言えません。
でも、情報の波に左右されない、子どもの審美眼を養うのは
やはり大人の仕事だと私も深く共感しました。


ちなみに、これらは息子のお気に入りおもちゃ。

DSC_0674.JPG

左のガラガラ、ネフ社の「ドリオ」はいただきもの。
見た目の美しさだけじゃなく、計算しつくされた握りやすさと口へのあたり、
音の心地よさは抜群で、息子は振ったり口に玉を入れて遊ぶのが大好き。

奥のシギ・キッド社のねずみのベビーオルゴールは可愛くにぎりやすく
きれいな音色で、低月齢の頃からのお気に入り。

右はベリデザイン社の「クーゲルターン」
夫と売り場で見つけて、手に取った時の丸みと木のぬくもりがあまりに
も気持ちよくて、染色がとてもきれいで二人で一目惚れで購入。
手触りがよいのでよくニギニギしたりかじったりして遊んでいます。

DSC_0646.JPG

あとは、我が家のおもちゃはほとんどいただきものです。
私と夫は家に趣味じゃないものが増えていくのが嫌なので、
厳選して必要最低限しか買っていません。

買うとしたら、安全で、できれば天然素材でちょっと値が張っても
10年後に家にあっても嫌じゃないもの。
将来、息子が大きくなっても残してあげたいおもちゃがいいなぁって
思っています。
例え、今息子が気に入らなくても大人になった頃に良いと思えるもの
なら与える価値がある。

知育玩具といわれるものが流行っているけど、それよりも子どもは
親の携帯だったり、革のお財布だったり、メガネだったり・・・
とにかく子供だましじゃなくて本物が好きなんですよね。

本物が分かる子に育てたいなぁと思いつつ、今日もミカンを皮ごとかじられて散らされたり、
彼岸桜を生けた花瓶をひっくり返された床を拭いていたりします。

本物を伝えるって大変だぁ(笑)


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posted by sako at 18:59| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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